北国街道・多古神社
北国街道旧道は、小諸市芝生田から東御市滋野の赤岩地区へと続きますが、並行して走る18号国道とは違って、長閑な静かな街道筋です。白壁や立派な門の家並みが続きます。
一角に古い多古神社があります。古道の多古駅にちなんで改名した神社だそうです。
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北国街道旧道は、小諸市芝生田から東御市滋野の赤岩地区へと続きますが、並行して走る18号国道とは違って、長閑な静かな街道筋です。白壁や立派な門の家並みが続きます。
一角に古い多古神社があります。古道の多古駅にちなんで改名した神社だそうです。
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国道18号の旧道、北国街道をしらばく散策することにします。まず今では無住ながらの西光寺観音堂が小諸市西原地区にあります。誰も訪れない静寂なお堂です。
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ときどき行く近くの小諸「あぐりの湯」のロビーでは、この間「押絵」の展示がありました。地元の趣味の会員の作品が額に納まって展示されていますが、その見事な出来映えに感心して見とれてしまいました。
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いつも通っている裏道、大木の根っこに地蔵体が安置されています。地元の人の話に依ると「縁切地蔵」と言われているそうです。知る人ぞ知る、静寂な空間です。
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北御牧の湯の近くの諏訪神社の境内にある黒槐の木は巨木として市の指定を受けている天然記念樹です。樹齢800年と言われます。
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武石の山間にこの辺では見られないような洒落た保養所があります。東京の練馬区の保養所ですが、広大な土地にテニスコートや体育館、温泉などが完備されています。
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巣栗渓谷の傍らにある武石観光センターは道の駅並みの観光スポットです。森林を大切にする「緑の礎」記念碑が気に入りました。
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巣栗渓谷の遊歩道の先端にあるのが「お仙ヶ淵」です。紅葉の中に清流の白い滝が印象的です。この地に伝わる民話が案内板に紹介されています。
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やっと紅葉が徐々にながら麓へと降りてきています。美ヶ原の東入口に当たるところの巣栗渓谷に紅葉を訪ねてみました。渓谷沿いの白樺と紅葉がきれいでした。とりあえず今シーズン初めての紅葉狩りです。
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雷電に関するものに、もう一つ有名な石碑があります。佐久間象山らによって建てられた顕彰碑です。郷里の誇りであったことが伺えます。
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雷電生家に程近いところに雷電の墓碑があります。雷電の墓碑は4箇所ありますが、ここには雷電が造った父を供養する墓碑があります。雷電の妹の家系が護っているそうです。
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周囲に田んぼが広がるところに、復原再建された雷電生家があります。土間には土俵が作られている珍しい住宅です。
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道の駅「雷電くるみの里」には、実物大銅像の雷電立像があります。堂々たる体型の雷電です。郷里の誇りなのでしょう。市内の中央公園にも大きな立像があり,市民に親しまれています。
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道の駅「雷電くるみの里」には郷土の怪力力士雷電の資料館が付設されています。こじんまりした小ぎれいな、誰でも自由に入れる展示館です。
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東御市の浅間サンライン沿いの道の駅「雷電くるみの里」は、新しい道の駅ですが、東御市の情報発信基地として観光客には人気の高いところです。
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春原家住宅の近くにある、大きな農家の邸は明治期に7年間をかかって建造したというものです。土蔵の海鼠(なまこ)壁など格調の高い貫禄ある民家です。
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東御市にある春原家住宅は、江戸元禄の頃のこの地方の豪農の家と言われます。国の重文に指定されている古民家として注目されています。
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山荘から近いところですが、東御市滋野に幕末の巨刀匠山浦兄弟の私宅が保存されています。刀剣界ではとてつもなく有名なところなのだそうです。
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田中宿の街は区画整理されてすっかり様相が変わってしまっていますが、街内をぶらつき、古そうな門を見つけました。本陣にあったものと思しき門です。
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海野宿の海野氏の菩提寺、興善寺境内にある「石徳五訓」は古い禅語からの引用のようですが、含蓄のある言葉で親しまれています。
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法善寺の境内に、信州諏訪の出身である島木赤彦の歌碑があります。
七月に 入りて雪ある 遠き山 山門外に 出立見れば
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近くにある法善寺は比較的新しい寺院ですが特異な彫刻を持った寺院です。
その仁王門に安置される二尊は迫力ある仁王像です。
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田中宿の薬師堂の境内に、「田中の石造仁王像」という、ひときは大きな、見るからにたくましく、またユーモラスな顔立ちの、全身真赤に塗られている威容な仁王像があります。地元出身の怪力雷電縁りのものです。
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東御市の「雷電くるみの里」道の駅で、毎年行われるようになった、昭和の名車が勢ぞろいするイベントには、カーマニアが押し寄せ大変な人気でした。
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東御市はぶどうの産地ですので、この時季巨峰が人気です。その大安売りが目玉のイベントです。蓼科連峰が望める中央公園には家族連れが繰り出していました。
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田中宿の一角に「剣持道祖神」という一風変わった道祖神があります。男女の神が睦みあうというより、剣を持つという穏やかならぬもののように見えますが。
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田中宿の四つ角辻に「勝軍地蔵」という珍しい地蔵石像があります。乗馬した武士像で、防火神として信仰されたとも言われます。
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小諸宿の次が田中宿です。東御市の中心地ですが、海野宿の方が有名です。再開発で、電線も地下を通すようなすっかり近代化された町並みになっています。しかし、歴史的史跡を訪ねることにします。
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藤原田の里で出会った湧水井戸。かつて水田にも使われ、上水道にも使われていたということです。「冷た~い!」
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丸子の藤原田という山間の里に千手観音堂があります。素朴なお堂ですが、ここの千手観音坐像は貴重なものだそうです。実物は見られませんが、写真が掲げられています。
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万葉歌碑の近くに安政年間に再建された南方薬師堂があります。高台にある均整の取れたお堂で、刻まれている彫刻が素晴らしいものです。
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丸子町の塩川の坂井交差点近くの広場に、目立たぬ乙女像がありますが、ここに万葉歌碑が刻まれています。どういう経緯で建立されたものか分かりませんが、「信濃なる須賀の荒野」にふさわしかったのかもしれません。
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龍顔寺には、真田高勝の墓碑があります。もともとこの辺りは真田高勝の居館があったところで、その跡には拝殿を構えた石祠、高勝(宮内介)の霊を祀る「真田宮内大神」が祀られています。
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丸子町の北部に、真田幸村の叔父に当る真田高勝の菩提寺である龍顔寺があります。境内前の不動池を渡ったところの山門は天明八年建立の古い、竜宮城のような門で目を引きます。
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依田川に架かる馬坂橋は全体が木造の人道橋です。水害のたびに流されてきましたが、その都度何度も里人の熱意で復旧されて、今にその風情を伝えています。
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旧丸子町は製糸工業で栄えた町です。その興業百年を記念して造られた公園に、今ではなくなってしまった、この地に引き込まれていた鉄道の機関車が展示されています。生糸工業に貢献のあった人達の顕彰碑や虚子の歌碑があったりします。
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切石から丸子市街に入ったところにある長福禅寺は、木曾義仲公の位牌があるという、義仲縁りの寺院ということでしたが、山門脇の立派な赤松の木に惹かれました。
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箱畳公園のすぐ近くに、「切石」という目立たないのですが、岩にのこぎり傷の入ったような珍しい記念物があります。つい気になって見入りますが、浮かぬ妙な物です。
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丸子・立科町境にある箱畳公園は、箱畳池があり、周りの眺望も良い、憩いの場です。丸子八景の一つでもあります。
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日吉神社の鳥居の傍らに、市の文化財に指定されているサワラの大木があります。こういった大木が大切に保存されているのが日本の田舎です。
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丸子から旧武石村の方へ入ってところで日吉神社があります。村で最も古い神社建築ということに惹かれて寄ってみました。周囲が岩肌に囲まれた奥まったところで、池にはご神橋が架けられている神社です。
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腰越橋から少し里に入ったところに、こじんまりしたお堂があります。無住のお寺ですが、地元の村人によって護られている、民話のある心安まる素朴な観音堂です。
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依田川をもう少し遡って腰越橋の辺りに来ると、深い淵や落ち込みと、連続する岩畳の流れで、時には急流となり、深緑色の水をたたえていることから、大淵中淵と呼ばれる丸子八景の一つになっている景勝地に来ます。
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丸子公園から登ると丸子城址に着きます。二の郭跡に展望台用に模擬物見櫓が建っています。本郭跡には種々の案内板が掲げてあって歴史を覗き見できる思いです。
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丸子公園の中にある安良居神社はこの地域の氏神ですが、本殿に施されている彫刻は素晴らしいものです。
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寛保2年(1742)8月1日、台風の襲来を受け、千曲川流域では大変な洪水で多くの犠牲者を出しました。その供養塔があちらこちらにありますが、田中宿の目立たぬ薬師堂の境内にも「戌の満水塔」としてあります。小諸市内でも、大変な被害があり、8月1日には、供養の燈籠流しが行なわれています。
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岩谷堂の展望台に登ると、義仲の「手植の桜」をはじめ花見の名所を味わうと共に、眼下に丸子の町を、遠くには浅間山が望めます。
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旧丸子町の依田川の左岸急斜面にある宝蔵寺の通称「岩谷堂」は、朱塗りに彩られた艶やかな建物です。木曾義仲などに関係ある由緒ある寺院です。
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旧丸子町の長瀬地区には住宅街に「長瀬義民碑」があります。江戸時代に農民一揆から直訴して犠牲になった義民を褒め称える石碑です。古くは長瀬氏という豪族が治めた地であり、時代が下がると寺子屋風の学校もあったという民意の高い地区だったようです。
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信州の生んだ江戸時代の大相撲名大関・雷電為衛門が修業を積んだという隠し相撲道場があったと言われる史蹟です。
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旧丸子町に出ると、丸子北中学校の近くの田畑の一角に、ぽつんと古めかしい五輪塔が建っています。傍らの案内板によると、この地方の豪族・依田氏縁りの者の五輪塔と推測されていますが、この地方では名塔と言われている石造物です。
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西光寺の東側でちょっと山の中に入ったところで思わぬ奇景と出合わします。フォッサマグナの痕跡とも言われる礫岩による奇岩崖です。急に目の前が明るくなり、光景が一変するのにびっくりします。
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塩田平の東の外れにある西光寺の阿弥陀堂は、室町時代の建築と推測され、県宝に指定されています。質素な造りながら、禅宗洋式をふんだんに取り入れた由緒ある寺院です。
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東昌寺の鐘楼は、そのシルエットも均整取れた姿勢で魅力あるのですが、その四面全面に施された彫刻には圧倒されます。
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国宝三重塔の大法寺から更に登ったところにある東昌寺は、信濃の有力豪族滋野氏一族の流れを組む浦野氏の菩提寺です。山門も立派ですが、鐘楼に施された彫刻には目を見張ります。次回にアップします。
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高仙寺が合戦でその大伽藍が失われてしまいましたが、唯一大日堂が残り、この地方での最大の規模を要する大日堂になっています。見るからに、こんな山中にと思わせるほどに立派なつくりです。
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上田の小泉地区にある高仙寺は、征夷大将軍・坂上田村麻呂が東夷平定のため戦勝祈願したという古い寺院ですが、上田原合戦で大半を焼失しました。ここの参道に並ぶ杉の木は樹齢300年以上という立派なものです。
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石久摩神社の裏手に、上田原合戦に使われた道と言い伝えられている「信玄道」が復元され、歴史の一端を味わえます。
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上田原古戦場跡には、ここで戦死した武田、村上双方の重臣級の武将の墓碑が散在しています。これは信玄方の重臣板垣信方の墓碑です。
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上田原にある石久摩神社境内に、武田信玄と東信濃の勇将・村上義清とが激しく戦った「上田原古戦場碑」が建立されています。周辺には、戦いに散った双方の重臣の墓碑が散在しています。
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この辺りから上田原古戦場跡となり、武田信玄の信濃攻略に関する史蹟が散在しています。宮川神社も信玄戦勝祈願の社で、人型をした御幣を付けたしめ縄が珍しいものです。
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荒神宮の近くに、昭和の始めの頃、地元上田尋常学校の訓導教師が、学校の遠足の折りに、千曲川に転落した生徒を救おうとして殉職した、その人徳を慕い悼んで建立された殉職記念碑があります。今の教育界を顧みるにつけ、背筋の伸ばす思いをします。
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(再び上田市内散策に戻ります)
市街地から千曲川をわたったところにある荒神宮は、真田氏や木曾義仲縁りの神社ですが、その本殿に施された彫刻は彫りが深く、精細な造りです。
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小さな家庭菜園は、今年はいつ手を付けていいものやら戸惑いながら種を蒔いたり、苗を植えたりでしたが、ここにきて遅ればせながら急に元気を取り戻したようです。ナス、キュウリ、トマトなどが花を付け始めました。良かった!
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すっかり緑が蘇って、内山峠から見上げる荒船山も濃い緑が一層深まってきました。
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緑が鮮やかになってきた里の風景で一息つきます。遅霜などで遅れがちだった田植えでしたが、1ヶ月で稲も生長して、今年も里の恵みを感じます。
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活文禅師は、45際のとき、この寺院の住職として迎えられ、7年間勤めました。そのため活文禅師の遺品が残されています。師の墓もここにあります。
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上田には後に、幕末から明治にかけて大活躍をした佐久間象山・赤松小三郎・高井鴻山・竹内八十吉などの人物をその教え子から出した活文禅師がおります。大寺院の住職でしたが、その寺院を辞してからは、寺子屋を開いて子弟に教えを施しました。
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信濃総社だったと言われる「科野大宮社」は代々の藩主の崇敬を受けた上田城の鎮守でした。境内には天然記念物に指定されている社叢が見事で、ケヤキなど巨木が天を仰いでいます。
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善光寺の新しい息吹を感じさせる蔵の街が、大門のすぐ脇に誕生しました。地方の不景気には例外もないようで、シャッター通りになりそうな街を活性化しようと立ち上がった地元の人たちの熱意の結晶です。
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善光寺本堂の裏手に「日本忠霊殿」という、明治以来の戦没者を慰霊する廟塔があります。ここには、北京五輪時に、チベットの仏教徒を弾圧した中国に抗して、聖火リレーを善光寺が辞退したことで、ダライ・ラマから贈られた釈迦像が安置されています。
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境内を散策して、六地蔵の他、濡れ地蔵、石造宝篋印塔を見て廻りました。八百屋お七やら、佐藤継信・忠信兄弟に縁りあるものに遭遇。新たな発見がありました。
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もう一本の回向柱が、仲見世通りからちょっと入った世尊院釈迦堂に建ちます。ここには重文の「釈迦涅槃像」が安置されています。
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善光寺参道筋にお地蔵さんを見つけました。そのうち「むじな地蔵」は民話に謂れある地蔵様です。また、良寛さんが善光寺に寄った際の漢詩の詩碑があります。
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やっと本堂前まで着ました。真新しい回向柱に善男善女が参拝しています。いつもながらの光景ではありますが、今年は特に不景気、ざわめく世相を反映して真剣さが目立つようです。
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大門を過ぎるとまもなく仁王門に着きます。仁王さま像の迫力に圧倒されます。この辺まで来ると人出が多くなっています。
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仁王門から本堂前の回向柱まで参拝者がぎっしり並んで順番を待っています。善光寺の参道に敷き詰められた敷石は寄進されたものですが、その言い伝えが伝わっています。
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7年に一度の善光寺ご開帳が昨日で終わりました。折角なので終盤ながら行って見ました。長野駅はさすがに華やいでおります。
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日輪寺の境内に、天明の浅間大爆発で犠牲になった人達を悼むため勢至菩薩を祀った小さいながらも清楚なお堂があります。
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宗吽寺の隣りにある日輪寺は、海野幸義(真田氏の祖)の法名・日輪寺殿からつけられた寺号ですから、海野氏縁りの今から450年も前の古いお寺です。江戸時代の終わりころ、家業の呉服店を営みながら、地場産業などの発展に大いに尽し、高く評価された成澤寛經のお墓があります。
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海野通りにある願行寺には、彫刻をふんだんに取り入れた桃山洋式の古い立派な山門があります。真田氏、松平氏縁りの寺院です。
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上田市の宗吽寺にある石幢は、県内には他に例のない珍しい石幢です。家型で三面にお地蔵さんが彫り上げてあります。
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津金寺のすぐ隣りに諏訪神社があります。すっかり寂れたような目立たない神社ですが、由緒あるもののようです。
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津金寺に真新しい鐘楼が建立されました。寺院の鐘楼は、多くは古寺に見られる歴史を纏った神々しいものが普通なので、真新しいものに会えるのは新鮮な体験です。吊られた梵鐘も真新しいものです。
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津金寺の仁王門は、茅葺きの山門で堂々たるものですが、中の仁王像は未完成の彫像として知られています。それには意義深い民話が伝えられています。
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立科の津金寺は、野草の寺として有名です。つい先ごろまではカタクリが咲き誇っていました。これからはヤマブキ、アジサイなどに移っていくことでしょう。
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小諸駅のすぐ隣りに工事中だった市民ガーデンがやっとできました。「停車場ガーデン」と命名され、市民、電車待ち客の憩いの場になっています。
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夏季には向日葵畑だったところが、今の時季、菜の花畑になっています。広々とした一面の黄色が印象的です。
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コスモス街道が、この時期、シダレモモ街道に変身とか。地元民の努力で見られるように育っています。
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鯉料理が有名な佐久市で鯉祭りが毎年行われます。今年も、鯉こく汁が振る舞われ、大勢の人達が並んでご馳走になりました。
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旧丸子町の中を流れる依田川に、こどもの日を中心にして沢山の鯉のぼりが左右岸から渡されて、住民の心に安らぎを与えています。
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こどもの日を迎えて、津金寺のある立科町山部地区では、町興しの一環として、鯉のぼりを田んぼの中にたなびかせています。鯉のぼりには武者幟が付き、その勇壮な武者絵は自慢の種です。
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上田市鍛治町にある月窓寺の唐門は竜宮城のような造りで一段と目を引きます。その天井の龍の鏝絵も見映えがあります。ここには幕末の軍学者赤松小三郎の遺髪の墓があります。
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上田市内で目立つ緑地帯として、大星神社社叢があります。30余種の古木、幼木が林立して、太いケヤキのもと一息つくには恰好の場所です。
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大輪寺の印象的な山門の脇に、上田藩士出身で江戸中期に江戸で活躍した俳人加舎白雄の句碑があります。
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大輪寺は真田昌幸の正室寒松院の開基による寺院ですが、上田で最大の山門を持つ寺院です。楼門に回廊を回した造りは優雅にさえ見えます。
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呈蓮寺は、仇討ち物語の曽我兄弟の兄曽我十郎祐成の妻・虎御前の開基に依るものだそうです。ここには地元出身の和算の大家竹内善吾武信の墓があることで知られています。
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上田市の本陽寺は、仙石氏の菩提寺であり、小諸から移転したものです。小諸城主仙石秀久正室の開基によるものです。
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上田へ小諸にも縁のある芳泉寺を訪ねました。ここには真田信之の妻・小松姫の墓と仙石城主の霊廟があります。
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長野牧場のさくらは見甲斐がありますが、今週の初めにはまだつぼみでした。隣りにある事務棟の前広場の枝垂桜は満開でした。牧場内のさくらも今では満開になっているようです。
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なかなか花の咲かなかった信州・小諸にもイースター(復活節)を迎えた日、さくらなど花々が満開になりました。春の遅い信州もこれから活動の季節です。
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千曲川は小諸を過ぎると川幅が広くなります。その上を長野新幹線のハープ橋が架かっています。美しい幾何学的模様が都会美を映しているようです。
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望月の街中で立派な茅葺き門が目に付きました。手入れが行き届いていて気持ち良く仰げます。
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(立科町から、収穫の頃の浅間山)
昨日の夜のNHKテレビ「SONGS」では、松任谷由美さんが別荘のある立科町で、偶然会った地元の中学生との交流を描いた番組でした。卒業の歌に「卒業写真」を選んだ中学生たちとの交流が活き活きと初々しく描かれていて、心温まる里の人の心の交流が味わえました。
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中仙道望月宿にある、鬱蒼とした城光院は平安から戦国にかけてこの地を支配した望月氏の菩提寺です。望月氏は平安の時代から続く信濃の名族、滋野三家(海野・祢津・望月)の一つで、望月氏は特に優秀な牧場を有し、朝廷に貢ぐ駿馬を産していました。後の世の真田氏もこの一族から出ています。
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千曲ビューラインで御牧原を走っていると、年中煙突から家の中に入ろうとしているサンタさんが目に入ります。周辺の別荘地の人達御用達の、高原の「手作りのパン屋さん」です。
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布引大橋の先の坂を登り切ったところに、昔には愛宕城があったという愛宕山記念公園があります。浅間山の展望が良いところですが、惜しいことにめったに人が来ることがありません。
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望月昭和百番観音の中に一風変わった石碑がありました。望月駿馬を題材にした組曲とのことで、故郷の誇りを歌い継ごうという里人の心意気でしょう。
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旧望月町の一角の丘陵地帯に172体にも及ぶ観音像が建立されています。昭和の最後の頃の建立なので古いものではありませんが、その規模としては目を見張るものがあります。
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千曲川が浅間山と御牧ヶ原の間を流れる小諸市内では、左側に背の高い岩肌が大きく立ち上がっている光景が見られます。水墨画の画材にでもなりそうな規模です。
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佐久市の望月地区に開業間近なクラインガルテン(滞在型市民農園)ができました。浅間山と蓼科山を望み、家庭菜園に好適な田畑が付いており、都会人にとって魅力ある施設となりそうです。
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最後は、孫にと、からくり木工玩具に挑戦すると、木工教室に行き出しました。とりあえず作ってきたのが、これ。見映えはいいですがねェ。本体の玩具はいつ出来上がることでしょうか。
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妻の趣味が、ステンドグラスに飛びましたが、なかなかそうそうに進歩しません。やっと一部できたのがこれ。もっと大きくしたいと口では言うけど、なかなか進みません。
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クリスマスの時季にはこんなトールペイントもあったのが出てきました。
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こんなのが出来るのかと感心至極。亭主は脱帽!
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だんだん凝ってきて技術も上がったようで、たまごの殻に書くようになりました。
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最近家内が凝っているのがトールペインティングです。なかなか上趣味に見えるものができるものです。
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廃道となったお地蔵様の通りは、急斜面に接しているので、危険なので植樹がされました。見慣れない者にとっては、面白い幾何学的模様に見えます。
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和裁、洋裁では仕付け糸をふんだんに使いますが、それを使い易いようにと妻が工夫してこんな物を作り出しました。
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新道が開けて廃道となった旧道に、お地蔵さんが一人ぽつんと佇んでいます。険しい上り坂の古道では旅人の慰めになったことでしょう。
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妻の袋物作りの趣味。ある日、気に入ったものが出来たと、ニコニコ顔で持ってきました。内袋も付け、凝ったつもりのようです。
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妻が取り付かれた趣味。袋物作製。そのいろいろ。
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りんご畑の樹は、骨ばった枝を四方に伸ばし、筋骨隆々とした頼もしさを示している時季です。
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家内が凝った趣味の二番目としては、パッチワークがあります。小さなものから、ベットカバーにまで挑戦しています。
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雪のせいか、このところベランダの餌箱に小鳥たちが入れ替わり舞って来ては餌をついばんで行きます。
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家内が凝っている趣味の紹介。まず、自家製布草履、足に良く、床拭きにもなる!
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今年も寒かった冬、霧氷のモノクロの世界もまもなく見納めになることでしょう。
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布施温泉の近くにある入布施の道祖神は古いもののようで風化激しくなかなか見定められませんが、表示だけはしっかりしているので由緒あるものかと思います。
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古い庁舎のままの小諸市役所の前には小さな庭園があります。ここに市制50周年を記念したタイムカプセルが作られています。30年後に開封されることになっています。
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嬉聞耳地蔵の裏山に、権現の湯の名前の元になった立科権現がひっそりと佇んでいます。
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立科町の権現の湯の入り口に、昨年秋に、嬉聞耳地蔵尊という聞き慣れないお名前のお地蔵さんができました。
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浅間山の活動が活発になっていますが、天明の大噴火では、北軽井沢の妻恋村の部落が火砕流に流されて大被害を出しました。高台にあった観音堂に辿りついた村人だけが奇跡的に助かったとの悲話が語り伝えられています。
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懐古園(旧小諸城址)の近くに、それよりも古い時代の城址があります。まだ天守閣などのない素朴な時代の城跡です。いまはお稲荷さんが祀られています。
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浅間山の小噴火による降灰が関東地方にまで及んでいるとの報道を他人事と思っていましたが、なるほどよく見ると、横浜の我が家の駐車車両にもうっすらと灰が被り汚れていました。
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与良町にも観光交流館の「与良館」ができ、観光客におもてなしをしてくださいます。江戸時代の建物を復元しています。高浜虚子ゆかりの街です。
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本町交差点の角にあった小さな駐車場が、昨年12月に、小諸市の町並み整備事業の一環として、小公園に生まれ変わりました。藤村にあやかって「遊子公園」と命名されました。北国街道本町通りの散策で疲れた足を休めるには格好です。
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駅に近い大手門近辺では次々と整備事業が進行しています。小諸観光交流館は、明治後期から大正にかけて造られた繭問屋さんの建物を改装したものです。駅前トイレも洒落たものができています。
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正月早々から薪割りをしてお騒がせしました。一冬薪ストーブで費消する薪は半端ではありません。もう補給しなければというほどに薪置き場もスカスカ。補充でまた気分ゆったりに。
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久しぶりに御牧ヶ原・狼森の一本木の胡桃の木へ行ってみました。
この季、遠景の北アが備わると、台地がまた一段と魅力ある風景になります。
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北ア連峰と蓼科連峰の間に、美ヶ原高原の丘陵がはるか遠くに、空高く望めます。佐久・塚原の妙楽寺からの美ヶ原の丘陵です。
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正月の周囲の山並みを見ていると、清々しさが身に沁みこんでくるようです。蓼科山を佐久の妙楽寺から全景を納められます。
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布引観音の裏山の奥が諏訪山の部落になるのですが、ここにひっそりとした諏訪神社があります。正月には地元の方でしょうか、供え餅とみかんやしめ縄が寄せられていました。この裏手から見られる東御市の全景は伸び伸びしていて気持の良い見晴台になります。
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次男坊が、長年念願だった自身の趣味である日本刀剣を中心とした工芸品をギャラリーに展示したい希望を遂に自分だけの力でやってのけました。
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信濃五山の定額寺「妙楽寺」で伝統ある「八日講」が行なわれました。千年も続いている五穀豊穣や国際平和を祈る法要です。主に子供達によって継がれています。
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信濃国分寺の縁日が1月7日8日行なわれました。だるま市や露店が立ち並び、大勢の参拝客で賑わいます。厄除け開運のお守り「蘇民将来符(そみんしょうらいふ)」の販売も特徴ある行事です。
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三重塔で有名な新海三社神社で御田植祭りがありました。五穀豊穣を願って奉納される御神楽が、ユーモアに溢れて、楽しめるものでした。
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昨日は雲一点ない快晴に浅間山が映えました。今日は、朝のうち雲の中でしたが今は穏やかな天候に恵まれ、顔を出し、噴煙がいやに目立ちます。
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ブログが長い間には消去していってしまうことを思い、昨暮れから冊子化しました。もう6年になりなんとする「信州小諸通信」は12巻に、4年を過ぎた「信州小諸論壇」は5巻にもなりました。
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新年を迎え、元旦の浅間は、快晴の中でも、雲と噴煙がかかっています。
今年こそ、着実な歩みに戻れよと訴えています。浅間が怒ると恐い、恐い。
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軽井沢駅近くの矢ヶ崎公園は大きな池に長い木造橋を渡したオアシスのようなところです。離山が正面に見られ、最近では、橋を渡るとコンサートホール「大賀ホール」に出ます。
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追分宿の老舗の旅荘、油屋は多くの文人が逗留した宿です。堀辰雄は室生犀星に連れられてやってきてここで作品を執筆しました。やがてこの地に住み、終焉の土地としたのです。
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追分宿の旧道の中間点の辺りにある高札場は、諸街道筋に見かけるものですが、当時の資料も掲げてあって、時代を味わうことができる思いです。
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追分にある泉洞禅寺は、作家堀辰雄や詩人立原道造らが何度も訪れ、作品の中にも紹介されている大きな立派な寺院です。
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軽井沢の次の宿場町、信濃追分は中山道と北国街道の分岐点で、見るべき名跡史跡がたくさんあります。分去れ(わかされ)に見られる諸石碑にも見ものがあります。マリア地蔵と言われる隠れキリシタンによる石像など興味引くものです。
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軽井沢タリアセンにこの夏移築された旧朝吹山荘は、建築家ヴォーリズによる建物です。翻訳家朝吹登水子さんの別荘だったもので、古き良き時代を残している記念館として価値のあるものです。
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軽井沢植物園の入り口の脇に、長野オリンピックのときの聖火台が記念塔として保存されています。あれからちょうど10年の月日が流れたことになります。
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昭和天皇がよく訪れていた軽井沢植物園には、身近な草花から高山植物や、軽井沢で発見されたような珍しい種まで、ぎっしりと植生されていて人気のあるところです。
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南軽井沢にある「治安の礎」は、昭和47年に起きた連合赤軍による山荘管理人夫人人質事件の記念碑でした。犠牲者3人を出した、痛ましい事件です。日本の治安に疑問符が付くようになった事件かもしれません。
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軽井沢には面白いものがあるものです。内田康夫さんの浅見光彦シリーズで人気のある浅見光彦の家があるのです。南軽井沢の一角にログ造りの瀟洒なファン倶楽部の施設がありました。
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キリスト教系の教会の多い軽井沢にあって、南軽井沢のこの教会は文字通り牧師手作りのログ教会です。人の温かみが直に伝わってくるような教会堂です。
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南軽井沢の発地地区には石仏群が目立たぬところにあります。この馬取地区の馬取観音・地蔵菩薩も街道筋の地元の人の世話を受けて保存されています。
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茂沢の里から発地地区に入ると、別荘地の中にバイブルキャンプ場風のチャペルを見つけました。軽井沢ホライズンチャーチという教会でした。
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軽井沢南部の茂沢には、高原野菜の里とも言われるように、9月の初め頃には真っ白な蕎麦の花畑が一杯に広がっています。キャベツ畑も一面に広がっていてホッとできる山里です。
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豊昇の里にある円通寺の庭園は、ところ狭しにぎっしりと季節の花が咲き誇っています。
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軽井沢千ヶ滝から流れきた湯川を遡っていくと、長閑な里を巡りますが、途中の御代田では露切峡という渓流釣りの名所に出ます。
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遂に奥蓼科の大奥、明治温泉のおしどり隠しの滝まで来てしまいました。最も紅葉が美しく見えます。長い滝、青い空、そして紅葉、その対比色がマッチしてきれいです。
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奥蓼科・王滝から一気に登り切った横谷観音では紅葉真っ盛りでした。横を通るメルヘン街道から多くの観光客が入ってきていました。
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奥蓼科の横谷渓谷で、滝めぐり散策路を歩きました。滝の王様、王滝には観光客が大勢シャッターチャンスを狙っていました。
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紅葉は蓼科高原がメッカです。里に紅葉が降りてくる少し前、蓼科高原まで出かけました。文字通り全山紅葉の光景は壮観です。
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小諸大橋から千曲川畔を臨むと、ここも紅葉一色です。夕陽に浮ぶ浅間は全山真っ赤です。
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紅葉も里まで降りてきました。別荘地内も紅一色です。窓辺からうっとりと臨み、時間を忘れてしまいます。
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今年も懐古園馬場跡の広場で、東信地区の菊祭りが行われました。いずれも丹精込めた見事な作品で、頭が下がります。
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周りの山々に紅葉を訪ねていたのが、アッと言う間もなく、里まで降りてきました。小諸市内の懐古園の紅葉も盛りです。
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高峰高原、車坂峠にある高峰高原ホテルには立ち寄り湯「こまくさの湯」があり、この周辺の登山客に評判です。星に一番近い雲上の温泉が歌い文句の温泉です。
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高峰山からは遠くの山並みまで眺望が開けているのですが、この時季なかなか良い機会に恵まれません。翻って近場の篭ノ登山、水ノ塔山を望んでお茶を濁しましょう。
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紅葉を求めて近場の高峰高原に行きました。浅間・黒斑山続きに秋の色が稜線を覆っています。
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渋峠から万座温泉に至り、再び高山村へ降りるには、上信スカイラインがあります。万座峠からはさっき通ってきた笠ヶ岳が見えます。笠ヶ岳を見ながら里へと降りて行きます。
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山田牧場から一気に笠ヶ岳を登りきると、志賀高原・草津ルートに出ます。横手山の裾渋峠を回り、国道最高地点からは芳ヶ平湿原や草津白根山が視野に納まります。
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紅葉の名所松川渓谷を通って志賀高原に抜ける辺りに紅葉を求めようと出かけました。標高1500mの山田牧場、放牧は終わってスキー場の準備が進んでいるようです。周りの山々が紅葉を装っています。
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恒例の小室節の全国大会がありました。今年は30回を迎え、88人のエントリーがあり自慢の喉を披露していました。
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荒船湖のある内山牧場から、冨岡街道の国道の北側にある地方道下仁田浅科線を使って佐久へ戻ることができます。その途中にある観光牧場のスエトシ牧場では、乗馬ができたり、小動物園を備えていたりして、家族連れで楽しめます。また、馬の養老院として、競馬で活躍して引退した名馬が老後を過ごしてもいるところでもあります。
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もうコスモス祭りは9月に終わってしまいましたが、荒船湖畔の大コスモス園では、名残りのコスモスが、心もとなしに風に揺れています。ここからは荒船山が正面に見られます。
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内山峠から分け入った山奥に秘湯として知られる初谷温泉があります。湯船は真っ赤な色ですが、炭酸を含んだ飲用泉でもあります。宿の裏には「宝命泉」というサイダーのような天然名水が湧いています。
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亀松の墓碑のすぐ傍らに、この地の出身である上原清涼の句碑があります。明治22年に内山郷苦水で生まれた無欲恬淡の俳人とのこと。
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江戸時代、内山郷のこの地で猪や鹿の食害を防ぐための番をしていた父親に襲いかかった狼を鎌で倒した亀松の話を顕彰する墓碑が、小公園に中にあります。
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目立たぬところですが、コスモス街道から少し踏み込むと、継母にいじめられた少女お仙が身を投げたという、悲しい民話を残す仙ヶ滝があります。
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もみじの映える高谷岩が内山峡の最後です。溶岩が冷却する際生じる柱状の割れ目の柱状節理が見事です。
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秋の内山峡は、紅葉で一変します。紅葉と岩石とのコラボレーションはドライブ疲れを癒してくれる街道です。
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国道254号の平賀宿に開けたバイパス沿いに名もない岩山があります。宮殿が祀られていますが、山頂まで登るには難儀です。でも、見るからに内山峡に加えてよさそうな岩山です。
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名もないものの種々な奇岩が次々と現れる内山峡です。
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内山峡の奇岩、ナポレオン岩と名指されたものがあります。ナポレオンの特徴ある帽子姿に依っているようです。
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内山街道の奇岩めぐりが中断していました。再び続けましょう。最初は恥ずかしくなるような命名の岩ですね。
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近くのあぐりの湯のロビーで「秘蔵 江戸小紋型紙」展をしていました。とても細かい彫りに感心しました。日本人の器用さを示すもので感激しました。
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久しぶりにあの胡桃の大木を見に行きました。すっかり生い茂り、成長を見せています。この辺り、東御市近辺では胡桃が特産品です。
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蓼科山も姿を現しました。稔りの近づく御牧ヶ原から、八ヶ岳連峰と共に。
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養蜂家の方が、蜜蜂のえさ用に今年は向日葵を栽培したとのことで、向日葵畑が出現しました。コスモスと蕎麦の花との競演が見られました。
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夏空が戻り、浅間山が顔を出すようになりました。稔り行く御牧ヶ原の里から、この季節に、点在する溜池越しに望める浅間山の雄姿は勇気づけられます。
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一昨日の日曜日、小諸の駅前の繁華街通りが、珍しく休日だというのに賑わいました。地元の中学生が企画した青空バザーです。鄙びた田舎だからこそできるイベントでしょうか。地元の活性化について、学習でき、身をもって貢献でき、生きた教材となったことでしょう。
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今日は、小諸市の八幡神社で、伝統ある「八朔相撲」が行われました。豆力士たちが元気な声を上げ、境内に寄り集まった身内の人たちから熱い声援が飛びます。
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内山峡の代表的な岩石が屏風岩です。一番最初に目に入ってきます。
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内山峡にある小さな肬水公園には、明治の事業家・渋沢榮一による漢詩が刻まれた大きな石版があります。その上の方には大きな岩石があります。
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まもなく始まる佐久のコスモス街道は内山峡と言われ、信州の耶馬溪と言われるように奇岩奇石が続くところです。まず滑津川畔に「だんご岩」が顔を出します。
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小諸の観光では良く知られているそば蔵・丁子庵で食してきました。店内に入ると、さすがに旧米蔵、クラシックな造りが圧倒します。
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観音堂から一気に急な岩肌まじりの登山道を登りきると、仙人ヶ岳展望台に着きます。ここからの眼下の佐久平の秋の実りの田、八ヶ岳連峰から蓼科山、霧ヶ峰高原へと続く展望は素晴らしいです。
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信越道の閼伽流山トンネルの上にある明泉寺は、平安時代に開かれた古刹です。寺院から登ったところに観音堂や鐘楼があります。巨大な岸壁の元にあります。
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佐久のコスモス街道沿いにある長福寺には、願掛け百体地蔵尊霊場で、各お地蔵さんが持つ風車が風を受けて回り続ける様が童謡的です。
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佐久市野沢地区の「城跡公園」は、鎌倉時代から室町時代のこの地方の豪族伴野氏の居館があったという古い史跡です。
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佐久市の中込の中心繁華街・野沢には、成田山薬師寺があります。最近では、参道のぴんころ地蔵の方が有名になっています。
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平和の日、8月15日の誕生花は「ヒメヒマワリ」だそうです。「あぐりの湯こもろ」の前庭にきれいに植栽されていました。
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炎天下、果実は着実に成長しています。桃が赤くなって、かわいい桃尻を晒しています。
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臼田バイパス沿いに参道に赤い旗が並んでいるので目立つ医王寺があります。堂内には99体の観音像が納められています。
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臼田の滝地区にある滝観音には、岩山一帯に秩父札所観音34体の石仏が合祀されています。秩父巡礼に行けない善男善女がここでご利益を祈ったことでしょう。
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国道141号が佐久の臼田に入るところに、三途の川で我々を待ち構えている脱衣婆の嫗が祀られた嫗堂(おうばどう)があります。
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目立たないところに国重文に指定されている石灯篭があります。灯の代わりに地蔵童が彫られている、古人の精巧な作品です。
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臼田の吉祥寺山門は、組木が複雑に組み込まれた美しい門です。猫の彫刻が愛嬌あります。
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コスモス街道の中込の街に近いところにある宝寿山正安寺は、もとは36坊もあったいう曹洞の名刹です。入口の門のところで見え隠れする地蔵様が素朴に迎えてくれます。田舎の寺に来たという情緒を感じます。
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蕃松院の近くにある「磨崖青面金剛」は市文化財に指定されているそうですが、とてもわかりにくいところにあり、手入れも不十分で風化しそうです。
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龍岡城址の近くの蕃松院は、曹洞宗の古刹で仁王門もりっぱですが、本堂の彫刻は見るものを圧倒させます。参道の多行松は奇妙な光景で魅入られます。
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新海三社神社の別当寺としてあった上宮寺は、明治維新の神仏分離令によって、少し離れた現在地に移転させられてしまいました。寺塔であった三重塔はそのとき置いてきたのです。ここでは梵鐘が県宝に指定されています。
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三重塔がある新海三社神社の本社殿は、三つの本社から成っています。朱と彫刻の西本社と中本社に、重文指定の室町様式建築の東本社があります。
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佐久市の貞祥寺の境内に人間魚雷「回天」の四分の一の模型品が陳列されています。この地出身の仁科関夫少佐らの考案によることから、この地にこの記念碑があります。今では、鎮魂の碑です。
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佐久のコスモス街道筋にある園城寺は萩の寺として有名ですが、この時季は「紫陽花寺」として親しまれています。
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小諸に夏を告げる健速神社祇園祭は、暴れ神輿が見ものです。神輿が壊れんばかりに乱暴に扱われた上、神社参道の「階段落し」は担ぎ手たちの見せ場です。
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小諸に夏明けを告げる「こもろ市民祭り」が昨日始まりました。大人、子どもの神輿50台ほどの六角神輿が威勢良く街中を夜遅くまで練りまわりました。
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貞祥寺の三重塔は、県宝になっている優雅な佇まいです。この東信地方には六つもの三重塔があります。
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昨日は急遽、日産スタジアムへJ2の横浜FCとザスパ草津の公式戦を見に行って、初めてサッカー・スタジアムを見てきました。試合よりも、スタジアムの規模、豪華さに圧倒されてきました。
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国道141号の臼田バイパスを南下していると、右側山麓にひときわ目立つ楼門とお堂が見えます。これが1768年に移築されたいう倉沢薬師堂です。彫刻と、極彩色豊かな、一見する価値のある歴史的建造物だと思います。
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佐久市根々井にある正法寺の一帯は、木曾義仲の四天王の一人と言われる豪族・根井氏館跡だと言われます。官牧の多い中で、私牧を経営して強力な騎馬軍団を持っていたと言われます。
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中仙道塩名田宿近くの駒形神社は、重文の指定を受ける古い社です。この地が古い時代に官牧であったことからいろいろと言い伝えのある神社です。
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信州の鎌倉と言われる塩田平にある龍光院は、鎌倉幕府執権北条家ゆかりの寺院です。
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茅野の方から白樺湖へ入る途中に「蓼科高原チーズケーキ」と称して、作製工房が見える売店があります。試食でき、ツアーの大型バスが次々に寄っていきます。
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白樺湖畔にある「影絵・きり絵美術館には、影絵作家藤城清治さんの幻想的な作品が堪能できます。付設のガラス美術館には輝き続けるアンティークガラスが所狭しと並んでいます。
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先日行った温泉「ゆうふるtanaka」へ水着を持ってスイミングに行ってきました。水中ウォーキングコースが整備されていて、シルバー族が盛んに歩いていました。けっこう良い運動になります。
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先日伺ったガーデニング邸主さんから、バラの花がきれいなときなので来ないかと誘われ、再度訪れてみました。素晴らしい花園にバラの花が咲き誇っており、堪能してきました。
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梅雨を迎えてますます緑が濃くなる信州です。浅間山も緑が濃くなった里の中に見られます。種々の木々が実を着け始めています。
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うつくしの湯の近くの妙見寺には、鳴竜があるというので尋ねてみました。聞きしに勝る圧倒されるような天井絵で、凄まじい竜鳴を轟かせていました。
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福寿草群生地の近くに「うつくしの湯」があります。ここは美ヶ原高原に入る上田側口になるので、その名があります。
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美ヶ原への上田市側入口である旧武石村には福寿草群生地があり、早春の3月には壮観な光景になります。
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しなの鉄道田中駅前にある日帰り温泉には、リラクレーションプールのある、ちょっと変わった温泉施設です。
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浅間山麓にある小諸高原病院は、その恵まれた環境のもと、戦前から結核療養所として使われてきました。現在は、精神科の病院としてその立地条件を生かしています。
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寒い冬季が長引いたので、田起こしからして遅れてしまい、田畑作業の日程は狂い放し。果たして今年は成るものあるのかな!?
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今年は寒季が長引いたので、田圃への水入れと田植えとは慌しく進められ、雪帽子の浅間山も春霞の中です。
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庭園を見たくて、もう一つ、小諸ワイナリーの「万酔園」に行ってみました。春の息吹きが芽生え、装いをと整えている最中のようでした。
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浅間山山麓に広大な土地を得て、自分一人でコツコツと18年間も掛けて、お気に入りの花園を造ったという人を訪ねて、いろいろ伺ってきました。素晴らしいロケーションの中に、自分だけの空間に満足している悠々たる方に乾杯!でした。
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長らく大改修をしていた小諸城の大手門が建立当時の慶長17年(1612年)の姿に蘇り、一昨日そのイベントが盛大に催されました。
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こどもの日は善光寺花まつりで、境内も大変な賑わいでした。山門の「平成の大修理」が終わり内部拝観ができますが、2時間待ちの行列では諦め、賑わいの参拝者に混じって境内を廻り、参道でそば饅頭を買ってきました。
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皐月晴れのこどもの日、ほんまち町屋館裏庭には元気なこいのぼりが天高く舞いました。この日、珍しく北アルプス連峰までがくっきりと輝きました。
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この時季になると、数日の間にアッという間にりんご林は満開の花を付けます。もっとも信州らしい光景の季節を迎えます。
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御牧原を横切る千曲ビューラインの沿道に、菜の花を栽培して、一日限りですが菜の花まつりが行われています。
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飯山市の隣り、現在は中野市になっていますが、そこに小学唱歌「春の小川」「紅葉」「故郷」「朧月夜」などの名曲を生み出しました高野辰之の出身を記念する記念館があります。唱歌そのままに郷愁を感じられる記念館です。
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阿弥陀堂の近くの福島棚田は棚田百選に入っています。眼下には千曲川の流れが見られ、里の良さを倍加しています。
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阿弥陀堂から眼下に菜の花畑、千曲川、そして広がる田圃と、飯山市の部落、背後には妙高を初めとする北信の山々。心の病いを患って郷里に来た登場人物がここの生活で癒されていく様にはぴったりの光景です。
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飯山菜の花公園の近くには、平成14年に全国的に感動を呼んだ映画「阿弥陀堂だより」のロケ地があります。ひっそりと佇む阿弥陀堂が今も残されています。
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飯山の菜の花まつりの主会場は菜の花公園です。13haにわたる広大な菜の花畑ですが、野外ステージでは朧月夜音楽会が催されたりしています。
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近年頓にに有名になってきた飯山市の「菜の花まつり」にやっと行って来れました。小学唱歌「朧月夜」のモチーフになったという、ゆったりした里山が癒しの光景でした。
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佐久でのバルーンフェスティバル。夜間係留での幻想的なバルーンイリュージョンを見たいと出かけましたが、一つだけ試験的に立ち上がっただけで、あとは強風が吹き始めたため中止になってしまいました。残念。
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桜の後を継いで、桃の花が満開です。春霞の中、浅間山がこの時期特有の霞み姿で見守っています。
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さくらが去って、桃の花が盛りを迎えています。小諸にも桃源郷があるのが嬉しいです。
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旧丸子町にある丸子郷土博物館は、かつてこの地方の地場産業であった製糸業の発展を展示した記念館です。ステンドグラスを使った、白亜の洒落た建物です。
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岩舟地蔵の通り沿いにあるひっそりした両羽(もろは)神社には、「望月の牧」で駿馬の世話をしていたという、朝鮮民族の渤海人が祀られているそうです。また大変古い石祠、石造龕(せきぞうがん)が保存されています。
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鹿曲川沿いに南下する地方道東部望月線の沿線にひっそりとしたお堂があります。「岩舟地蔵」と掲げられていますが、その謂れは分かりません。赤い衣を纏い、頬を赤くしたかわいいお地蔵さんです。
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この時季、さくら越しに浅間を見る心地はなかなか離れられません。
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小諸の街中のさくらも開花しました。光岳寺墓苑内のさくらは外から仰げます。手前の梅も満開です。
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信州にも桜前線がやってきて、ソメイヨシノが満開です。あまり人が出ないところですが、昔あった布引鉄道の軌道跡の道路に「桜花のトンネル」として小諸眺望百選に入る桜の名所があります。
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寒さが弱まり、別荘地内でも梅が咲きました。でも浅間の山はまだ雪をかぶったり、脱いだりしています。
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「クルミの木」を加工ソフトを使って、版画絵に改造してちょっとお遊び。他に、浮彫絵とか、鉛筆絵にもできます。
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牧の広場のクルミの木からは、浅間山を背景に入れると一層開けた眺望が得られます。
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「牧の広場」のすぐ近くに大地に聳え立つクルミの木を発見! 背後の霧ヶ峰高原、大地の御牧ヶ原が一望できる気の晴れ晴れする眺望です。「牧のクルミの木」と名付けましょう。
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その昔、朝廷に献上されていた望月馬が牧されていた御牧原の一端を再現した公園が「牧の広場」として整備されています。
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今日は、晴れての新学期、入学式です。孫からもうれしい電話がありました。よかったね! ピッカピカのランドセルが大きいこと!
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長らく探していた野中の一本「くるみの木」にやっと遭遇できました。気持ちの良い光景です。
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今年の家内の誕生日の贈り物は、クンシランにしました。ランと言いますが、ランの種類ではなく、ヒガンバナ科だそうです。
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あれだけ頑固に凍り付いていた雪も融け、春めいて、邸内のあちこちにふきのとうが芽吹き、ホッとする季節が巡ってきました。
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殊のほか寒かったこの冬は、信州の別荘地も訪れる人が一層少なかったのですが、ふだんは林の中に隠れている別荘地も、冬には、木の葉が落ちて透け透けになり、思いもよらないことに、こんなにも別荘邸宅があったのかと思うほどに山荘風の建物が姿を現します。
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望月宿の町並みには中仙道の名残りがあります。脇本陣のように、町屋には屋号が掲げられていますが、書の里だけあって、天来のお弟子さんらの筆跡で掲げられています。重文の真山家も宿場町を代表する建造物です。
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望月宿には、地元出身の現代書道の父と言われる比田井天来を記念する書道美術館「天来記念館」があります。生家も保存され、最近では門下生の書石碑を集めた天来自然公園も整備されています。
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イースターを迎えて、人の世の騒がしさからしばらく目を転じ、自然に親しむ。朧の満月がきれいだったり、ふと窓の外に懸命な野鳥が来ていたりと、世間の喧騒をよそに心和むひとときを味わう。
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望月の隣りの五郎兵衛新田の開拓に、蓼科山から用水を敷いたときに使われたという木樋が、望月歴史民俗資料館の前庭に保存されています。
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中仙道望月宿は、駿馬を産したところです。平安朝廷からも憧れの地でした。その遠くの望月の地を思い遣って歌った歌が多く残されています。古くからの歴史のある望月の民俗資料を集めてある資料館です。
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佐久市の旧望月町の歴史民俗資料館では、地域の人々が生活に密着して親しんできたという日常的な雛人形を集めて展示していました。
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和紙雛展の行われている笠鉾会館には、須坂祇園祭に巡行される笠鉾と屋台が保存されています。笠鉾は二段笠という須坂独特のものです。
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須坂のひな祭りでもう一つをUP。笠鉾会館では、市民の趣味グループが自分たちの和紙でつくった人形を展示しています。
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宮内典子古布創作ひな人形展が行われている、須坂クラシック美術館は、元は須坂藩ご用達の呉服商の屋敷だったところで、内部はたくさんの部屋を持ち、立派な梁に圧倒されるような古家です。
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須坂クラシック美術館では、宮内典子さんの手による、長く引き継がれてきた古布が独創的なひな人形として生まれ変わったひな人形が展示されています。
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高橋まゆみ創作人形展の会場になっている旧上高井郡役所は、以前記念建造物シリーズでUPしたことがありますが、すっかり修復され、資料館として整備され、大正時代の息吹がよみがえっています。
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