石尊之辻
信州の生んだ江戸時代の大相撲名大関・雷電為衛門が修業を積んだという隠し相撲道場があったと言われる史蹟です。
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信州の生んだ江戸時代の大相撲名大関・雷電為衛門が修業を積んだという隠し相撲道場があったと言われる史蹟です。
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旧丸子町に出ると、丸子北中学校の近くの田畑の一角に、ぽつんと古めかしい五輪塔が建っています。傍らの案内板によると、この地方の豪族・依田氏縁りの者の五輪塔と推測されていますが、この地方では名塔と言われている石造物です。
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西光寺の東側でちょっと山の中に入ったところで思わぬ奇景と出合わします。フォッサマグナの痕跡とも言われる礫岩による奇岩崖です。急に目の前が明るくなり、光景が一変するのにびっくりします。
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塩田平の東の外れにある西光寺の阿弥陀堂は、室町時代の建築と推測され、県宝に指定されています。質素な造りながら、禅宗洋式をふんだんに取り入れた由緒ある寺院です。
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東昌寺の鐘楼は、そのシルエットも均整取れた姿勢で魅力あるのですが、その四面全面に施された彫刻には圧倒されます。
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国宝三重塔の大法寺から更に登ったところにある東昌寺は、信濃の有力豪族滋野氏一族の流れを組む浦野氏の菩提寺です。山門も立派ですが、鐘楼に施された彫刻には目を見張ります。次回にアップします。
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高仙寺が合戦でその大伽藍が失われてしまいましたが、唯一大日堂が残り、この地方での最大の規模を要する大日堂になっています。見るからに、こんな山中にと思わせるほどに立派なつくりです。
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上田の小泉地区にある高仙寺は、征夷大将軍・坂上田村麻呂が東夷平定のため戦勝祈願したという古い寺院ですが、上田原合戦で大半を焼失しました。ここの参道に並ぶ杉の木は樹齢300年以上という立派なものです。
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石久摩神社の裏手に、上田原合戦に使われた道と言い伝えられている「信玄道」が復元され、歴史の一端を味わえます。
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上田原古戦場跡には、ここで戦死した武田、村上双方の重臣級の武将の墓碑が散在しています。これは信玄方の重臣板垣信方の墓碑です。
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上田原にある石久摩神社境内に、武田信玄と東信濃の勇将・村上義清とが激しく戦った「上田原古戦場碑」が建立されています。周辺には、戦いに散った双方の重臣の墓碑が散在しています。
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この辺りから上田原古戦場跡となり、武田信玄の信濃攻略に関する史蹟が散在しています。宮川神社も信玄戦勝祈願の社で、人型をした御幣を付けたしめ縄が珍しいものです。
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荒神宮の近くに、昭和の始めの頃、地元上田尋常学校の訓導教師が、学校の遠足の折りに、千曲川に転落した生徒を救おうとして殉職した、その人徳を慕い悼んで建立された殉職記念碑があります。今の教育界を顧みるにつけ、背筋の伸ばす思いをします。
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(再び上田市内散策に戻ります)
市街地から千曲川をわたったところにある荒神宮は、真田氏や木曾義仲縁りの神社ですが、その本殿に施された彫刻は彫りが深く、精細な造りです。
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小さな家庭菜園は、今年はいつ手を付けていいものやら戸惑いながら種を蒔いたり、苗を植えたりでしたが、ここにきて遅ればせながら急に元気を取り戻したようです。ナス、キュウリ、トマトなどが花を付け始めました。良かった!
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