緑の荒船山
すっかり緑が蘇って、内山峠から見上げる荒船山も濃い緑が一層深まってきました。
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すっかり緑が蘇って、内山峠から見上げる荒船山も濃い緑が一層深まってきました。
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緑が鮮やかになってきた里の風景で一息つきます。遅霜などで遅れがちだった田植えでしたが、1ヶ月で稲も生長して、今年も里の恵みを感じます。
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活文禅師は、45際のとき、この寺院の住職として迎えられ、7年間勤めました。そのため活文禅師の遺品が残されています。師の墓もここにあります。
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上田には後に、幕末から明治にかけて大活躍をした佐久間象山・赤松小三郎・高井鴻山・竹内八十吉などの人物をその教え子から出した活文禅師がおります。大寺院の住職でしたが、その寺院を辞してからは、寺子屋を開いて子弟に教えを施しました。
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信濃総社だったと言われる「科野大宮社」は代々の藩主の崇敬を受けた上田城の鎮守でした。境内には天然記念物に指定されている社叢が見事で、ケヤキなど巨木が天を仰いでいます。
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善光寺の新しい息吹を感じさせる蔵の街が、大門のすぐ脇に誕生しました。地方の不景気には例外もないようで、シャッター通りになりそうな街を活性化しようと立ち上がった地元の人たちの熱意の結晶です。
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善光寺本堂の裏手に「日本忠霊殿」という、明治以来の戦没者を慰霊する廟塔があります。ここには、北京五輪時に、チベットの仏教徒を弾圧した中国に抗して、聖火リレーを善光寺が辞退したことで、ダライ・ラマから贈られた釈迦像が安置されています。
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境内を散策して、六地蔵の他、濡れ地蔵、石造宝篋印塔を見て廻りました。八百屋お七やら、佐藤継信・忠信兄弟に縁りあるものに遭遇。新たな発見がありました。
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もう一本の回向柱が、仲見世通りからちょっと入った世尊院釈迦堂に建ちます。ここには重文の「釈迦涅槃像」が安置されています。
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善光寺参道筋にお地蔵さんを見つけました。そのうち「むじな地蔵」は民話に謂れある地蔵様です。また、良寛さんが善光寺に寄った際の漢詩の詩碑があります。
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やっと本堂前まで着ました。真新しい回向柱に善男善女が参拝しています。いつもながらの光景ではありますが、今年は特に不景気、ざわめく世相を反映して真剣さが目立つようです。
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大門を過ぎるとまもなく仁王門に着きます。仁王さま像の迫力に圧倒されます。この辺まで来ると人出が多くなっています。
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仁王門から本堂前の回向柱まで参拝者がぎっしり並んで順番を待っています。善光寺の参道に敷き詰められた敷石は寄進されたものですが、その言い伝えが伝わっています。
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7年に一度の善光寺ご開帳が昨日で終わりました。折角なので終盤ながら行って見ました。長野駅はさすがに華やいでおります。
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