小諸の桜ところどころ
小諸のさくらは、市内ところどころで見られますが、光岳寺のさくらは傘のような可愛い枝垂桜です。この他千曲川沿いに良いレビューがあります。
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小諸のさくらは、市内ところどころで見られますが、光岳寺のさくらは傘のような可愛い枝垂桜です。この他千曲川沿いに良いレビューがあります。
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関ヶ原合戦の際、真田氏を攻めた徳川秀忠の宿舎ともなったという、曹洞崇の古刹海応院の門前の桜です。潜龍の松という名松があり、また八重すみれの「コモロスミレ」の発見の地です。
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小諸で開花が足踏みしている頃、たった100メートル程低い上田では満開からむしろ散り初めでした。平成6年に復元なった東櫓門を中心に沢山の人が繰り出しました。
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やっと小諸にもさくらがやって来ました。桜と浅間を画面に入れたく探し回り、御牧の湯付近の街道からゲット。今年は梅と桜がいっしょに見られるという珍しい春になりました。
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川中島の激戦ではおびただしい戦死者が出ましたが、それらを敵味方の別なく、武田方の地元・松代の高坂弾正が懇ろに葬り供養しました。上杉謙信がそれに感激して、甲斐が後年駿河・今井に塩止めされ窮状に陥った時に塩を送ったという美談が伝わっています。「敵に塩を送る」という諺の元になっています。
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松代に近い八幡原史跡公園は、有名な川中島合戦の現場です。今は公園として整備されて、現場に立つと、合戦にタイムスリップできるような環境の中にあります。
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現役を退いて早3年が過ぎ、64回目の誕生日を迎えました。家内が子供達が居たときと同じようにバースデイ・ケーキを作ってくれました。多少面映い思いを感じながら味わいました。
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稲荷山宿の近くには、善光寺平の五穀豊穣と、脇を流れる千曲川の氾濫防止を祈って祀られた武水別神社(たけみずわけじんじゃ)があります。武将の崇敬を集め、木曾義仲の戦勝祈願文が残っており、現代では交通安全祈願で車のお祓いを受ける人が絶えません。
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JR篠ノ井線の稲荷山は善光寺街道の宿場町で、善光寺詣での善男善女で賑わった宿場町です。また江戸末期からは呉服問屋を中心に商取引の場として栄えたところです。そういった生糸輸出で栄えた商家を修復・再生し、資料館にしたものが「稲荷山暮し館」として公開されています。
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一昨日の日曜日、教会の帰りに仰ぎ見た浅間山。白い線がきれいに山頂から垂れ下がるような光景は、真っ白い山とは違った味わいがあるのですが、写真にするとあまりうまく出ていないのが残念。⇒「信州小諸通信」へ
象山砲術試射地碑の近くのあんずの里は、一度は見ておく価値のある杏林です。一目一万本と言われるように、あんずの花の季節には、多くの観光客が押し寄せます。甘酸っぱい香りに浸りながらの撮影は楽しいものです。⇒「信州小諸通信」へ
千曲市の杏の里の近くに、象山砲術試射地碑があります。佐久間象山が、松代藩主真田幸貫が幕府の老中として海防掛をつとめるにあたり、その顧問となり、防衛のためにいち早く砲術の開発を図り、その試射をしたところです。⇒「信州小諸通信」へ
建物シリーズ一時お休み。上田城前の観光会館に寄ったら、吊り飾り雛が目に付き、ひととき安らぎました。何でも手作り手芸の趣味としてブームを呼んでいるとか。
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上田市常田の目立たない一角にある「毘沙門堂阯」は、活文禅師が開いた寺子屋「多聞庵」のあったところです。ここでは思想家佐久間象山や兵法家赤松小三郎などが学んだところで、それぞれの門下生は後の日本の針路に大きな影響を与えることになりました。吉田松陰も象山に教えを請い、強い影響を受けています。松下村塾のルーツとも言えます。⇒「信州小諸通信」へ
「蚕都」上田を象徴する建物として常田館が上げられます。養蚕産業が盛んな頃の明治41年に作られたもので、現在は絹の資料館として保存されています。一階は和風、二階は洋風という面白い建物です。
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